コラム

【VRヒストリー】The Eyephonesの続き。超人気劇団の戯曲が描いた「VR」とは何か

こんにちわこんばんわ。

寒いですねー。今季最大の寒波だそうで。

寒いですけど、今日も今日とてVRにまつわる歴史を紡いでいきましょうか。

89年に発表された「The EyePhones」のことを覚えていますか

昨年12月12日、コラム「VRヒストリー」にて、89年にリリースされたVRシステム「The eyephones」のお話をしたと思います。

【VRヒストリー】1991年に日本で話題をさらったHMD「The Eyephone」とは何か

こんにちわこんばんわ。 VRに関する歴史を、筆者の体験を交えたり交えなかったりしながら紐解いていく「VRヒストリー」。今回は、以前に こんなコラムも書きました「HMD(ヘッドマウントディスプレイ)」の ...

私(筆者)がこのthe Eyephonesと出会ったのが戯曲「朝日のような夕日をつれて」……という切り口で書かせていただいたのでしたね。

第三舞台、って劇団をご存知ですか? 2012年に解散してしまったんですが、筧利夫さんや勝村政信さんなどを輩出し、一時期は数万人もの観客動員を誇りました。私はこの劇団の舞台が大好きで、大好きで。

で、私の中で第三舞台の十八番!と勝手に思っている演目がありまして。「朝日のような夕日をつれて」というタイトルなんですけど、この1991年版の戯曲に、VPLリサーチ社の「The Eyephones」がまんま、そのまんま出てくるんですね。

そういや、どういう文脈でこのHMDが出てきたのか書いてなかったじゃん! と思いまして、今日はそれを書いてみることにします。

物語は、2つの世界軸を行き交う

「朝日のような夕日をつれて」では、サミュエル・ベケットという劇作家が書いた古典「ゴドーを待ちながら」の世界と、「立花トーイ」という玩具会社の社長と社員達による世界が並行して描かれます。

過去、この作品は上演するたびに大幅に改訂がされておりまして、上演した時点の世相にヒントを経て開発された「ゲーム」が軸となって展開していくんですね。

作者の鴻上尚史さんは、The Eyephonesが登場した1991年版の「朝日のような夕日をつれて」の紹介ページで、こう記しています。

ある時、早稲田へ通う東西線の電車のなかで一心不乱にルービックキューブをやっている男を見ていたんです。そのうちに、その行為と僕らの物質はすべて原子からできているが、その原子がばらばらになって、気の遠くなるような時間を経た後に今と同じ分子配列が再びできあがる、というイメージが結びついた。それがこの作品の発端です。その後、我々がこの芝居をするのに合わせるかのように、ルービックキューブ・リベンジが出たり、TVゲームの流行の予感があったり、ファミコンのブームが来たり。そのたびに、骨格は残したまま、その時代に合わせて書き直しています。そういうことをして、初めて戯曲が生命を持つはずですから。

鴻上尚史……「朝日のような夕日をつれて91」紹介ページ / 第三舞台 / サードステージ

で、この「1991年度版」に登場したのがThe Eyephone、「イデア・ライフ」という名前のゲームとして登場するんですね。内容はまんま「セカンドライフ」です。

んんん? ちょっと待って?

セカンドライフって、2003年にリリースされたんじゃなかったのか、って?

その通り!

2002年10月30日:ベータプログラムのアナウンスが行われる。
2003年4月28日:オープンベータテストが開始される。
2003年6月23日:リンデンラボより正式公開される。

-WikiPedia日本語版「Second Life」より引用

ね。11年も前に、セカンドライフのような仮想現実上で擬似生活を行うゲームの構想を、舞台上で表現していたんです。

すごい! 当時は全然理解できなかったけど! 当時の私まだ高校生!

「月に行くと、自分の住む部屋が全くそのまま存在している」可能性は「ゼロ」ではない

鴻上さんは別の書物で、「当時は富士通のHabitatなどが出ていたのと、ヴァーチャル・リアリティがよく取り上げられていて、そこからインスパイアされた」的なことを書かれておりました。

ここで鍵となるのが、先ほどの引用にもありました

僕らの物質はすべて原子からできているが、その原子がばらばらになって、気の遠くなるような時間を経た後に今と同じ分子配列が再びできあがる、というイメージ

です。

当時は「2001年宇宙の旅」でも似たようなシチュエーションがあった(ほら、あのホテルのような豪勢な部屋のシーンとかですよ)ことなどもあって、人間の生死や輪廻、また宇宙における人間の存在的なアプローチは多くありました。

そんな時空の超越とか、多次元な世界観みたいなものと、仮想現実(VR的ななにか)は非常に相性がよろしかったんですね。で、当時の第一次VRブームも相まって、こういう形で「朝日のような夕日をつれて」にThe EyePhoneが登場したわけです。

私達の現実が、VR・AR・MRによって「進化」するかもしれない、ってこと

今私達の目の前にやってきていることは、まさしくそんな「目の前の現実」が、見たこともない次元に進化する一歩手前のこと、なのかもしれません。

我々が作っているVRコンテンツは確かに「凄いですよ!」と自信を持ってオススメできますが、弱点もあります。VRHMDだとその映像しか見えないからジュース飲めないじゃん! とか、目が疲れちゃう! 酔っちゃう! とかね。

でももし、こういった弱点を解決しちゃったら、そして世の中の人がみんな仮想現実と常に共にするようになったら、間違いなく私達の日常は「進化」します。

そうなったときに、世界はどうなるのか。

「朝日のような夕日をつれて」で描かれたような世界かもしれないし、「2001年世界の旅」の世界かもしれないし、そんなの誰にもわからないし。

だからこそ。

だからこそ、我々は確かなものを作っていかないと行けないな、と強く思います。少しでも、少しでも、昨日より良い世界になった方がいいもんね!

HMDを嵌めながら、そして、The EyePhoneに思いを込めた人々の気持ちを思いながら、今よりもはるか先を見ていこうと思います。

朝日のような夕日をつれて、ね。

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